夜中にもなれば、賑やかな町も次第に眠りにつく。
外を出歩くものは少なく、街灯が空から零れ落ちた星のように道を照らしている。
光と闇の入り混じる道を、1つの影が歩いていた。
その影を物陰からじっと見つめる影は2つあった。
「あいつか?」
綴が隣にいる結音に小声で尋ねると、頷いて答えた。
「別に変ったところはなさそうだけどなぁ?」
「私もそう思うんだけど・・・。」
結音は言葉を最後まで言わずに、影を見失わないように足音を殺して跡をつけ始める。
綴も結音の手を握りしめて一緒に歩き出す。
2人に追いかけられてるとも知らない影は、石畳の様に舗装された道を淡々と歩き続ける。
昼間結音が見た予知夢。
それは、真夜中に1人の影が歌を歌っている光景だった。
「怖いとかそういうんじゃなかったから、悪い人じゃないと思う。」
「ってことは・・・。」
「たぶん・・・・・私と同じ『クセラ』だと思う。」
「なるほど。」
「でも、なんで夢に出てきたかが分かんないんだよね。」
「『クセラ』の能力を悪用してるとかじゃねーの?」
「うーん・・・。それとはちょっと違う感じがする。それだったらもっと怖い感じがするはずだし。」
「んじゃまぁ、そいつがどんな奴か確かめてみっか。」
真夜中まで「黒猫」で時間を潰した2人は、夢の中に出てきた場所でその人物を待ち伏せて、その時を待つことで真実を知ろうとしたのだ。
しかし、それらしき影はその場所で歌うことはなく、静かに歩き続けていた。
不意に、影は聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で鼻歌を歌いはじめた。
その途端、影の周りの空気が変わった。
ネットカフェ「黒猫」
放課後。
それぞれ授業を終えた2人は、それぞれの用事を済ませると、再び校門前の広場で一緒になった。
「どした?」
綴は、暗い表情の結音を見て異変に気がついた。
「なんでもない・・・・・・。」
結音はうつむいて、さっさと校門の外に向かって歩きだそうとする。
「なんだよ?はっきり言えよ!!」
綴は結音の腕を掴んで引きとめて、聞きだそうとする。
「ここじゃ話しにくい・・・。」
顔をそむけたまま、結音は小さく答える。
「・・・分かった。六郷の店行ったら聞くからな。」
綴は結音の腕を解放すると、優しく頭をポンポンと叩いて、歩きだした。
六郷 浩臣の店は、大学から少し離れたところにある隠れ家的ネットカフェ「黒猫」である。
常連客と一緒でなければ、始めて来る客はとても入口を見つけることができないだろう。
「よっ!!お2人さん久しぶりだな!!」
2人が入口に入ると、受付にいた六郷が片手を挙げて挨拶をした。
「六郷兄貴おひさー。」
綴が片手を挙げて挨拶を返した。
「どうせまたカップルシートなんだろ?このラブラブカップルめ。」
ニヤニヤと笑いながら六郷はカウンター越しにパソコンを操作し、綴に鍵を渡す。
「そーいうこと。邪魔すんなよ。」
「わーってますって。」
綴は鍵の番号を確かめて、結音を連れて部屋へと向かった。
「さて、どうしたんだ。」
完全個室でできた「黒猫」の一室に入った綴は、結音の顔を見つめて問い詰めた。
「んーと。」
結音は髪を触りながら、言葉を選ぶ。
「アレか、また?」
何となく結音の話したいことを察した綴は、助け船を出してやる。
「うん。」
結音は頷いて、少し安心した表情になる。
「今度はどんな『夢』を見たんだ?」
結音は、自分が見た『夢』の景色を思い出して、溜息を吐いた。
「あんま、よくなさそうな『夢』っぽいな。」
綴もつられて溜息を吐いて、天井を見上げた。
カーテン越しに入る朝の日射しに、時宮 綴はいつも通り目を覚ました。
そのまま綴はテキパキと朝の支度を済ませ、キッチンへと足を向ける。
朝食は洋食派である綴は、フワフワの半熟オムレツを手際良く作りながら、コーヒーを淹れる準備をする。
時折、キッチンのカウンター越しに寝室の反対に位置する扉に目を向けるが、その扉が開く気配はない。
2人分の朝食の準備を済ませた綴は、仕方なく開かない扉に続く階段を上った。
神宮寺 結音は、朝日を浴びながらまだ寝息をたてて眠っていた。
寝室の扉が静かに開き、男が1人ベットに腰掛けても気がつかない程、深い眠りについていた。
「おい、結音。起きろよ。」
男は慣れた様子で、結音の体を揺さぶって起こそうとする。
しかし、結音は小さく声を立てるだけで目を覚ます気配がない。
「起きろよ、結音!!朝食全部食っちまうぞ!!」
男が少し語気を荒げると、ようやく結音は眼を覚ました。
「・・・・・・それはヤダ。」
結音は、自分を起こした男―綴―をはねのけるように飛び起きた。
「じゃあ、とっとと支度して降りてこい。待っててやるから。」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべた綴は、クシャリと結音の頭を撫でると、部屋を後にして階下へと降りて行った。
朝食を済ませた2人は家を後にすると、最寄りの駅から通勤通学客を大量に乗せた電車に乗りこんだ。
「っしゃ!!1限と2限休講!!」
携帯を片手に綴は電車の中で、小さくガッツポーズをした。
「あぁ。私も今日5・6限休講になってる。」
結音も綴の隣で、携帯を眺めながら呟いた。
「よっしゃぁ!!じゃあ今日は久しぶりにに六郷兄貴の店行こうぜ!!」
「うん。そうする。」
子供のようにはしゃぐ綴を見て、結音も少し微笑んだ。
やがて目的地の駅に到着すると、楽器のケースやパンパンに膨れた鞄を抱えた大勢の人と共に2人は電車を降りた。
国立ムーサ音楽大学。
「楽士」や「クセラ」達の良き学び舎であれと、最初の「楽士」や「クセラ」達によって設立された学校である。
人類史上最古にできた音楽の学校であるこの学校は、これまで数多くの優秀な「楽士」や「クセラ」を輩出していることで名を馳せている。
また、近代になってからは国からの補助を受けることにより、全国トップを誇る施設と設備が設けられ、国内・国外から入学を希望する者が後を絶たない。
結音と綴は見慣れた校門をくぐり、伝統と歴史にあふれた大学の敷地へと足を踏み入れた。
「じゃあ私、実習打ち合わせがあるから先行くね。」
結音は綴の返事を待たずに、自分の所属するコースの校舎へと走り去った。
綴は結音の後ろ姿を見送ってから、サークルの仲間を見つけて声をかける為に、歩み去った。
2人はこの音楽大学の学生であり、結音は音楽療法コースに、綴は作曲コースに所属している。
今日も2人は他の学生達と変わらない1日を送るはずであった。
昔々、この星が生まれた頃のこと。
神々は時の流れと共に移りゆく『音楽』を愛し、自ら楽器を手にとって演奏した。
その音は、天上から地上へ、地上から地の底へと響き渡り、全ての生き物に生きる希望を与えた。
やがて地上に人間が現れ、地上の世界を治めるようになると、神々は自分たちの役割は終わったと考え、眠りにつくことにした。
神々のうち『時間』と『音楽』を司る神『クロノス』は、人間に『音楽』を奏でる力を授け、神々に代わって生き物に生きる希望を与えられるようにすることにした。
『クロノス』はまず最初に、『ゼフィルス』または『聖楽樹』と呼ばれる聖なる樹を生み出した。
『ゼフィルス』は、神々の住まう庭に植えられ、人間の目には触れないように結界で封印した。
次に『クロノス』は、『ゼフィルス』自身が人間の心を理解できるように、その魂を2つに分け、その1つを『アンロッド』または『紡ぎ手』と呼ばれる存在として永遠に生まれ変われるようにした。
しばらくすると、『ゼフィルス』の枝一面に花の蕾がつき始めるようになった。
それぞれの蕾が花開くと同時に、精霊が1体ずつ誕生した。
この精霊こそ、今日『ルドヴィ』または『楽精霊』と呼ばれる存在である。
『クロノス』は、『ルドヴィ』に地上に降りて特定の人間に『音楽を生み出す力』と『音楽を演奏する力』を与える役目を与えた。
また、『クロノス』は『ルドヴィ』に自分の持つ能力の一部を使うに相応しい人間を選ぶ役目も与えた。
『ゼフィルス』の元から旅立った『ルドヴィ』は、自らの意思で主人を選び、『クロノス』から与えられた使命を果たした。
人々は、『ルドヴィ』に選ばれた人間を『楽士』と呼び、『クロノス』の能力の一部を使えるようになった『楽士』を『クセラ』または『女神の寵愛を受ける者』と呼ぶようになり、『音楽』を愛した。
『楽士』や『クセラ』となった人間は、パートナーとなった『ルドヴィ』と共に『音楽』の力で、この星の生き物に生きる希望を与え、星はさらに栄えた。
そして、現在―。
神話に新たな1ページが加わる。